第参話「黄金色の髪」
今、俺の目の前でありえないことが起こっている。
この世に居てはいけない生物――悪魔のような翼が生えた目玉の
化け物が俺の方へと飛んできている。明らかに俺を襲う気だろうな。
しかし、成す術がわからない俺には、ただ頭を抱えてその場でしゃ
がみ込むことしか出来なかった。
目を瞑って、やられるのを待っていた俺は化け物の声がしなくな
った違和感を感じ取り、そっと恐る恐る目を開けてみた。
――すると、そこには黄金色の長髪な少女が、俺の目の前に立っ
ていたのだった。その姿は美しく、髪は月明かりに照らされて輝い
ていた……どこかで見たことのある子だ。だけど、雰囲気が違う。
一方少し前の方には先ほど俺を襲おうとしていた目玉の化け物が
落ちていたが辛うじて生きているらしい。痙攣をしながら再び羽ば
たこうとしている。
「息の根、止めてあげる……」
少女は片手を開き、前に突き出すとそこに光が集まる。その光は
化け物へと向けられた。
「今、楽にしてあげるわ」
その一言と共に、光は眩しい光を放ちながら化け物を貫いた。一
筋の小さな閃光。その光だけで、化け物はやられた。何て力なんだ。
そもそも俺は、目の前で起こっていること事態、とても気味の悪
い冗談としか思えなかった。そして、次の瞬間――俺は現実だと知
る。
「洸、大丈夫?」
目の前に突然現れて、俺を襲う化け物を殺した少女が俺の方へ振
り向く。黄金色が眩しい長い髪を揺らしながら、微笑んだ。
「――お前、狐柳……沙奈」
俺は吃驚してしまった。間違いない、こいつは沙奈だ。今日学校
であった、本人そのものだ。絶対に間違いない。黄金色の長い髪も
どこかドジで天然な雰囲気。だけど……さっき、別人なような気が
した。そんな雰囲気が、全く感じられなかった。
「あ、ごめんごめん、吃驚しちゃったよね……? でも、洸が危な
い目にあうってわかっただけでもよかった。手遅れになるところだ
ったよ」
目の前で笑う沙奈は確かに、今日学校で見た微笑と同じ。
だけど、状況が違う。明らかに。俺は頭の中がごちゃごちゃにな
ってもう暴走しそうだった。
「何なんだ、さっきの化け物は! 何で俺が襲われるだ!? そも
そも、なんでそんなものがここにいるっ! 沙奈は何者なんだ!」
「洸……」
自分でもわかっていた。今までにない以上に俺が取り乱している
ことくらい。わかっていた。
沙奈は俺の名前を小さく呟くと、そっとその場のコンクリート地
面に腰を下ろしている俺の頭をそっと右手で撫でた。
「よしよし……もう、大丈夫だよ」
「………………」
そんなことするな、とか言いたかったけど何故か言えなかった。
何故だろうな……撫でられるのも、悪くないと思ったのだろうか。
全く、どうかしてるよ、俺は……
「洸、大丈夫?」
「ああ……もう、大丈夫だ」
ふぅ、と俺は息を小さく吐くと、その場を立ち上がりさっきまで
自分が座っていたベンチに腰をかけた。沙奈も俺の座るベンチへと
腰をかけ、俺の隣に座った。
「ついに、来たんだね……わかっていたの。あなたがこの事を知る
ことくらい」
なんのことだろう、と思ったが……ここは黙って聞いていよう。
「人には憎悪という感情がある。その感情から生み出される生物が
今の洸が襲われそうになった化け物、名はヒーツイド」
「そのヒーツイドという化け物が俺を襲ったというわけか」
「ヒーツイドはさっきの他にも様々な種類がいるの。もっと大きい
のだってまだ沢山いるわ。さっきのヒーツイドはガーアイ。下級の
ヒーツイドよ」
まあ、簡単に言うと人の憎悪などの感情で生まれるのがヒーツイ
ド。ヒーツイドはその化け物全体をいい、まだ種類がいる、という
わけか。
「しかし、なぜヒーツイドが出るんだ? もしかして昔から居たの
か?」
「昔からいたわけじゃない。ヒーツイドが現れたのはつい最近。今
年の八月ぐらいから現れ始めたの。ヒーツイドが現れた理由は私に
はまだわからないけど……放置するのは危険だから、私はこうやっ
て『夜だけ』に現れるヒーツイドを退治しているの」
「なぜ夜だけなんだ? 朝や昼にこいつらは現れないのか?」
「光が苦手なんだろうね。憎悪で生まれるから、当たり前かもしれ
ないけど、きっとそうだよ――ヒーツイドについて私が知っている
のはこれくらいかな」
まあ、何となくわかった気がするが……あと二、三日余裕が欲し
いくらいだな。現実的に受け入れがたいものがある……
「それと、私がさっき、ヒーツイドを倒せた理由。その力はこれに
あるの」
沙奈は片手に字の書いた紙の御札を持って俺に見せてくれた。
「これがあるとさっきの力が使えるのか?」
「うーん、それはそうなんだけど、ものによるかなぁ……もっと他
のものもあるの。刀だったり、小刀だったり、弓だったり……武器
の場合もあるし私のように武器じゃないものもある。これを一般的
に、『術光』というの。術光を手に入れることによって私は術とい
うか魔法みたいなものを使えるようになったり、また武器だったら
ヒーツイドを倒す力が備わると思うよ」
何だか長い説明だが、その術光がないとヒーツイドと戦えないっ
てわけか。沙奈もちゃんとまでは把握出来ていないらしい。
「ま、とりあえず……そのヒーツイドってやつは人を無差別に攻撃
するようなやつらなのか? 無関係な俺が襲われるってのは、そう
いうことだよな?」
その言葉を聞くと、何故か沙奈は深刻な顔をして俯いてしまった。
何故だかはあえて聞かないことにしたけれど……
目のやり場に困った俺は、自然な感じに空を見た。先ほどと同じ
く星が輝いている。でも、俺は先ほどとの立場は変わっている。ま
あ、そりゃ変なものを見てしまったんだ。それもそうだろうな……
あんな化け物、どこ探してもいないだろうし。
「洸、今はまだ言えないの。ごめんなさい」
今だ俯きながら沙奈は俺に言う。いつもの笑顔はない。
「でも、この先また襲われる可能性は高いかな」
「やっぱり襲われるのかよ……」
厄介ごとはごめんだ、と口に出したかったが口を結んで堪えた。
とりあえず、ため息だけは自然と出てしまったが……
「だから私、洸を守るよ」
「え?」
「洸は戦えないもん、当然だよ! それに、私は――」
何かを言いかけた沙奈。だけど首を横に振って、そしてベンチか
ら立ち上がった。何だかいつものように俺の方を見て笑った。
「どうした、沙奈」
「うん……なんでもない♪」
「そうか――ま、沙奈はいつものように笑っていた方がいい」
「ふみゅ……」
沙奈は俺の言葉を聞いて何だか顔を赤らめて俯いてしまった。俺
も自分で何言ってるんだかとか思ったけど、事実を言ったのかもし
れない。
「いつものようにしてくれなきゃ、こっちもこっちでやりづらいか
らな……全く、調子が狂うんだよ」
「え、そ、そっか。ごめんね、洸」
少し慌て気味の沙奈。俺はそんな沙奈を見て――
「さ、そろそろ帰ったほうがいいんじゃないか?」
「ふみゅ、そうだね。それじゃ洸――また、明日ね」
そう言うと沙奈は小走りで公園の噴水広場から出て行った。
「ふぅ、俺もそろそろ帰らないとな」
ポケットに手を突っ込んで、ベンチからゆっくり立ち上がる。
俺はまた星を見ながら、非現実的なことを躊躇なく、少しだけだ
けれど受け入れている自分がとてもじゃないが恐ろしい気がした。
だが、そもそも何故ここまで来たのかを振り返ってみると、俺は
またため息をしてしまったのだった。
続く