『いなくならないで』


――死んじゃえ――
夢の中の利緒が最後に言った言葉。
泣きながら、母親を憎しんでいた。
――ジリリリリリッ――



四月一日。
「んっ……ふぁ〜あっ」
目覚ましの音によって目を覚ますと、俺は欠伸をして目を覚ました。
辺りを見渡すと、窓にかかっているカーテンの隙間から眩しい日差しが入り込んでいた。
とりあえずベッドから起き上がると日差しを部屋に入れるために、カーテンを開けた。
「うっ」
とても眩しい。
一瞬目が眩んだが、すぐに眩しさにもなれた。
次に俺は部屋においてある時計を見た。
壁にかかっている時計は、午前十一時を回っていた。
めずらしく、こんな時間に起きた。というか、なぜこんな時間に目覚ましをセットしたん
だろうか? 本当ならもうちょっと早くセットしているはずなのに、と思ったがもしかし
たら、十時に合わせたつもりだったのかもしれない。
母親は仕事があり、今日は起こしにこなかった。
そんな中、母親がいないことは不幸中の幸いだったのかもしれない。
「ふぅ……飯は後回しでいいや」
ふと、利緒のことを思い出す。
夢で見た利緒は、昨日会ったときの雰囲気とは打って変り、また別の雰囲気だった。
けれど、あれが本当なのかわからない。
なぜ俺が夢であんなものを見せ付けられるのか。
人の記憶を見ているのなら、凄い能力だ。
「さて、行くか」
ジャンパーを軽く羽織って、俺は部屋を後にした。



俺は少し走り、昨日美亜に教えてもらったとおりの道を歩き遠見ヶ丘に向かった。
その途中、いろいろなことを考えた。
利緒をみんなにどう紹介しようか、とか、ちゃんと馴染めるか、とか。
まあ、その前に俺がなんとかして彼女と上手く接しなければいけないのだが。
色々と、問題を抱えていそうだ。
それをいつ話してくれるかはわからないけれど、今は友達の第一歩として、一緒に遊び時
間を共に過ごせば、なんとかなる。気がする……
「よっと……」
遠見ヶ丘へと登ると、昨日と同じ風景が見えた。
「あ――竜芳」
桜の木の下に昨日出会ったばかりの少女が木によりかかって佇んでいた。
俺の気配を感じ、こっちをみると目があう。
「えっと……昨日ぶりだね」
やはり、俺は気の利いた挨拶ができないらしい。
――なんだよ、昨日ぶりって……
そんな自分を責めたい気分になったが、今はそれよりも彼女を家に招待しなければいけな
いのだ。
彼女の所まで歩み寄ると、昨日の苦手な沈黙……
「……………」
「……………」
「……………」
「……………ぁー」
「ぁー……?」
「いや、なんでもない」
やっぱりこういう雰囲気は苦手だ。
というか、もしかしたら利緒は天然キャラなのか? そうなのか?
そうしていてもどうにもならないので、俺は家に利緒を連れて行くことにした。
「それじゃ、昨日言ったけど、家に行こう」
「あの――」
「ん?」
後ろを振り返り、丘を降りようとした俺の服の袖を彼女は引っ張っていた。
どこか恥ずかしそうに、顔を赤らめて――
「私なんかが……行って、いいの?」
どこかまだ躊躇いがあるんだろうか?
俺は利緒の手を取ってあげた。
「昨日、友達になったんだろ? 俺たち。友達は、一緒に遊んだりするもんだから別に構
わないよ」
どんな言葉をかけてあげればいいかわからなかった俺は、自然とそんなことを言っていた。
なんだか、彼女と話しているときの俺は言葉が崩れている気がする。
しかし、その効果は結構あったようだ。
「うん……わかった」
表情には表さなかったが、言葉は少し喜んでいた気がする。
そんな彼女を、俺は自分の家へと連れて行った。



丘を下り、さっき来た道を戻る。
あんまり喋らない雰囲気な俺と利緒は、全く会話をしなかった。
何か話さないと……と焦らされる。
けれど、何を話していいかがわからない俺には、無理な話だった。
もし話したいことがあっても、恥ずかしくて話せない。
そんなことを考えているうちに、目の前に俺の家があった。
「ここが俺の家だよ」
俺の家の目の前に立った利緒はまじまじと家全体を見つめていた。
そして俺はその光景を横から眺める。
全く、彼女は何を考えているのかわからん。
「おーい、竜芳ーっ!!」
そんなとき、遠くから聞き覚えのある声がした。
健矢たちがすぐ近くまで来ていたのだ。
それに気づいた利緒は急にそわそわしだして俺の後ろに隠れた。
「久しぶりですね、竜芳さん」
昨日いなかった沙里が美亜の隣にいた。
彼女は他の人とはまた違った雰囲気をだしている。
礼儀正しくしつけされてきたためか、沙里は丁寧な言葉を使っている。
元々彼女はお嬢様育ちで、とてもじゃないが庶民の俺たちとは吊り合わない。
「あれ、竜芳くん……後ろに誰かいるみたいだけど」
美亜は俺の後ろにいる利緒に気づき、不審に思ったらしい。
なぜか俺は条件反射で少し見えないように後ろに一歩下がった。
「あ、あはははは、なんのことかな……」
「まあ、竜芳さん、汗びっしょり!」
――何を焦っている俺っ!!
元々利緒をみんなに紹介するために、ここに呼んだんだけれど、何を血迷ったのか自分で
自体を悪化させている。
「あの、あははー」
乾いた笑いで俺は誤魔化して見せたが、もっと悪い方向へと向かっていく。
「おい、まさか隠し子か? それとも彼女!?」
「ち、違っ――」
「た〜つ〜よ〜し〜く〜ん〜?? どうしたのかな〜?」
「何を隠しているんですか? 私、とっても気になるんですけど――」
三人からの質問攻めで、俺は次第に汗で服がぬれるくらい焦っていた。
なんだか、ここに立っていること自体が辛い。
「こ、この子は……えっと、その――」
そう戸惑っているうちに、自分から出てきた。
沙里と美亜に比べて、背の小さい利緒は彼女たちからみたら可愛かったらしく、すぐに飛
びつくように利緒に歩み寄った。
「ね、ね、竜芳くん!! この子、誰なの?」
「可愛いですね〜♪」
そんな状態に陥った利緒は、ただ黙って沙里と美亜に頭を撫でられたりされて遊ばれてた。
健矢はなぜか泣いている。
「竜芳ー! おまえ、オレを裏切ったんだなー、そんなやつだったのか……悲しいぞ、俺
はー、チクショー!!」
「これには、深い事情があって……と、とりあえず中に入ってからゆっくり落ち着いて話
す。頼むから、落ち着いてくれ……」
それから五分、そんな調子が続いてやっと俺の家に入ることが出来たのだった。



「さて、じっくりと話をしてもらおうか、竜芳!」
部屋に入るなり、健矢が俺に攻め寄った。
俺は後ろを見てみると、また利緒が隠れるようにいた。
「この子は、桜見 利緒。昨日知り合ったばかりだけど、よろしく頼むよ」
それでもまだ俺の後ろに隠れている。相当な人見知りらしい。
少し俺の横から顔を出すと、利緒は健矢たちに軽く頭を下げた。
「よろしくね、利緒ちゃん♪ 私は島真 美亜。美亜って呼んでね」
と、美亜が利緒にウインクをして笑って見せた。
「わたしは槇崎 沙里です。よろしくお願いしますね」
やはり、沙里は礼儀正しく挨拶をして利緒に微笑んだ。
最後に健矢が挨拶をした。
「オレの名前は小野 健矢だ。よっろしく!」
相変わらず元気だけはいいやつだ。
最後の締めとして、俺は利緒に挨拶をさせるために横にずれて利緒をみんなの前に出して
あげた。
「あっ――」
隠れる場所がなくなった利緒は、少し戸惑ったが諦めたらしくその場で俯いた。
「あ、あの……よろしく、お願いします」
やっと挨拶をしてくれた利緒を含め、俺たちは勉強会を開くことにした。



利緒もその勉強会に参加できるのかと不安になっていたが、以外とそんなことはなかった。
彼女も俺たちと同じ年齢だったらしく、それも同じ高校。
「へぇ〜、利緒ちゃん同じ学校なんだ……それじゃ、長い付き合いになるかもしれないっ
てことだよね」
まだ利緒は俺以外の人に慣れていないらしく、返事をせずにただ首を縦に振ったりたった
一言、「うん」とか言うことしか出来なかった。
「なあ、竜芳」
鉛筆を指で回しながら、健矢が俺のノートを叩いてきた。
そして、小さな声で話してきた。
「利緒って子と何処であったんだ? お前、昨日知り合ったばかりっつってたけど――」
「あー……まあ、そうだね」
俺はその話を気にせずに、中学校の復習をしていた。
主に苦手な理科を中心にやっていたが、はっきりいってめんどくさい。
「あの夢で会った少女って、あの子か?」
健矢は俺の耳に届く程度の小さい声で言った。
俺はそれを聞くなり、苦笑してしまった。
「やっぱりなぁ……ま、よかったじゃねえか! 可愛いし、きっとこれは運命だな」
確かに利緒は可愛い。
けれど、まだ好意という段階に発展するのには、早い気がする。
「それにしてもよ、正夢って本当になるもんなのかよ……お前すごいな〜」
それは自分でも凄いと思う。
見た夢のことが、本当になってしまったことに驚いていた。
しかし、今朝見た夢は「見た」というより「見せられている」に近い。
あれは本当に、利緒の過去なんだろうか?
そもそも、なんで俺はそんな夢を見てしまったんだろうか?
くぅ〜っ。
「あっ」
そんなことを考えているうちに、俺の腹の虫がなってしまった。
部屋の壁掛け時計を見てみると、午後二時を回っていた。
「あ、あはは……」
そんな腹の虫の音をこんなところで出してしまった俺は、少し誤魔化すように笑った。
そんなことをすれば、俺の音だってすぐにわかってしまうだろうに。
「竜芳さん、お腹空いたんですか?」
勉強をしないでさっきから利緒や美亜と話していた沙里が俺の顔を覗き込むように笑っ
て見つめてきた。
「朝起きてから食うのがめんどくさくてさ……何にも食べてないんだ」
「あら、まあ」
俺の言葉になぜか手で口を押さえて驚いていた。
――それは少しオーバーではないか?
「竜芳さんのお母様、今いないんですよね」
「ああ、今日は仕事があるから、夜まで帰ってこないんだよ。親父も出張に行って帰っ
てこないし……だから自分で作らなきゃいけないからメンドくさいんだよ」
すると、なぜか沙里は頬を膨らませて怒っていた。
「ダメです! 食事はちゃんと取らないと、勉強だって捗りませんよ?」
「まあ、それはわかってたんだけど……時間がなくてさ」
あはは、と変な笑いをしてみせた。
やっぱり、自然に笑うのは苦手だ。
「じゃあ、わたしが作ってあけます」
ニコニコと、お嬢様特有の微笑みを俺に向けながらすくっとその場から立ち上がる。
「あ、私も作りたいんだけど……いいかな?」
と、美亜が挙手をして立ち上がる。
「やめとけやめとけ。変なもの作って食わされそうだしな」
「なんか言った? 健矢」
恐ろしい声と気迫が健矢を驚かせた。
――相変わらず、怖いな……
「そうですね……それじゃ、利緒さんも一緒に作りましょう」
いきなり話を振られたせいもあるのか、少し利緒はびっくりしていたが、沙里の方を見て
小さく頷いた。
「それじゃ竜芳さん。台所借りますね」
「おいしいの、作ってくるからね!」
「……………」
少し利緒のことも気にかかるが、それより腹が空いて仕方がなかったので、ここは普通に
部屋から出る彼女たちを快く見送ってあげた。
その代わり、部屋の中に女っ気がまったくなくなってしまった。
静まり返り、健矢の一言がその沈黙を打ち破った。
「女の子たちを家に連れ込んで料理させるなんて、まったく……」
「ばっ、馬鹿か!!」
「だって、みんな結構いいじゃんか」
「うん、まあ……いいけど」
利緒は背が小さくて、可愛い。それは夢で見たとおり。
その他の二人、美亜はああ見えて結構男子に人気がある。
勉強優秀で結構クラスのやつらを仕切ったりしている。スタイルもそこそこいい。
沙里はどこかほのぼのした雰囲気をだしている。
お嬢様ということもあって、礼儀正しいのが好印象なのかもしれない。
スタイルもよく、顔も結構いい。
「お前、あの三人の中で誰がいいんだよ」
「だ、誰って……」
まあ、そんなこと言われたって困るのが普通だ。
「好きとかそういうのが無理なら、誰が好みかで。それなら答えやすいだろ? な?」
「こ、好み、ねぇ……」
正直な話、三人ともそれぞれ魅力があっていい。
かといって、三人まとめてなんて馬鹿な真似はしない。
「俺は――」
ガチャッ。
グッドタイミングでドアが開く音がなってしまった。
まあ、まだ言ってないからよかったんだが……
部屋に入ってきたのは美亜だった。
「クッキー作ることにしたんだけど、いいよね?」
その言葉に俺と健矢は二人してただ何も言わないで頷いた。
どこか変な雰囲気をかもし出していた俺たちを、美亜はすぐに感じ取った。
「どうしたのよ、なんか変な話でもしてた?」
ギクッ!!
一瞬体全体から血の気が引いたが、それでも苦笑して誤魔化してみる。
健矢はというと、満面の笑みで笑っているだけだった。
「いやいや、何にも話してませんよー。オレたちは真面目に勉強してただけですから。ね
ぇ、竜芳くん!!」
「あ、ああ……勉強してた」
何だかんだ言って、健矢も結構焦っている。
そんな様子を見た美亜は俺たちを白い目で見るようにじっと睨んだ。
「ホントにホント?」
「ホントにホント」
美亜は少しの間、じっとこちらを見ていたが、諦めたのかため息をついた。
「ふぅん……ま、いいわ。じゃ、クッキー出来るまでそこで大人しくしててね」
と、そう言って美亜はドアを閉めて部屋を出て行った。
階段を下りる音を聞き終えると、俺と健矢はため息をついた。
「危なかったな……ホント、すっげー悪いタイミング」
結構焦っていた健矢はそういうと、再び俺に攻め寄ってきた。
「んで、誰だ? 好みの子は」
俺の好み……
良く考えたことはないけれど、元気すぎる子より静かな子の方がいい。
かといって、元気すぎない子も困るが。
「おい、竜芳ー。あんま深く考えなくてもいいんだぜ?」
「う〜ん……と、言われてもなぁ」
美亜は好きという気持ちにはなれない。なんというか、友情とか、そっちの方が強い。
沙里は結構気遣いもしてくれたりしてくれる、優しい子。結構悪くはない。
利緒は守ってあげたい。そんな感じがする。結構大人しい子だ。
「俺は――」
ガチャッ。
再びグッドタイミングで誰かが部屋に入ってきた。
一度とならず、二度までも……
今度は利緒が部屋に入ってきた。
「あのっ」
「はひっ!?」
なんだか誤って変な声を発してしまった。
凄いタイミングで入ってきたせいでもあるし……まあ色々と訳がある。
俺の変な声を聞いた利緒はとても不思議そうに首をかしげた。
「はひ……?」
「あ、いや……で、なんか用事あるんだろ? どうしたんだ?」
天然を発動させた利緒を何とか誤魔化すために、俺はすぐ本題に移してあげた。
それにしても、本当に危ない……
「えっと……沙里が竜芳を呼んで来いって」
「そうか。今行くから、先に行っててくれ」
そう言って、さっきの話へと戻すために健矢を向いたが、話が進まない。
確かに、ドアが閉まる音がしなかった。
変に思った俺は部屋のドアの方を見てみると、利緒が俺を見つめて待っていた。
「……………」
「……………」
「…………ぅ」
「…………ぅ?」
沈黙。
仕方がないので、俺と健矢は部屋を出て台所へと向かった。



「うーん、いい匂いだなぁ」
と、健矢は鼻をひくつかせて台所へと向かいつつ言った。
家全体にはクッキーの香ばしい甘い香りが漂っていた。
台所へ行ってみると、皿に綺麗に並べられたクッキーが三皿。
「さ、竜芳くんと健矢はジュースとコップを部屋に持って行って。私たちはクッキー持っ
ていくから」
と、クッキーの入った大皿を両手で持った美亜は俺と健矢に目をやりつつ、部屋に向かっ
ていった。沙里と利緒もそれぞれの皿を持って俺の部屋へと戻って行った。
「さて、さっさとオレたちも持っていこうぜ。竜芳、腹減ってるんだろ?」
「あ、そうだった……」
さっきの焦り事件で空腹のことなど忘れていた。
健矢の一言で空腹という文字を思い出すと、再び俺の腹の虫が鳴り始めた。
ぐぅ〜っ。
「ジュースのペットボトルは頼む。俺はコップを持っていくから」
「OK、わかったぜ」
健矢はテーブルの上に置いてあるペットボトルのジュースを部屋にもって行き、俺もおぼ
んにコップを五つ載せて落とさないようにゆっくり歩いて自分の部屋へと向かった。



自分の部屋へ戻ってみると、部屋中がクッキーの香りに包まれていた。
そのせいで、もっと腹がへってしまう。
「さ、早く席についてください。竜芳さん、とってもお腹空いてるんでしょう?」
沙里の気を使った言葉を嬉しく思いつつ、俺はコップをみんなの元へと置いて自分の場所
へと座った。
「あのさ、なんで三皿に分けられてるんだ? 結構形とか違うんだけど」
健矢の質問に、美亜は得意げに胸を張って笑った。
「それぞれ作った人で分けたのよ。誰が一番おいしく作れるか、ってね」
「ま、結果は目に見えてるけどな」
と、健矢は要らぬ一言を言ってしまったせいで美亜は少し起こって健矢の頭に拳骨で殴っ
た。とても痛そうだ……
「さ、どうぞ召し上がってくださいな♪」
腹も空いていたので、俺は沙里の言葉に甘えてクッキーを食べることにした。
まずは自分から一番近いクッキーを手にとって見る。
……結構形が崩れているが、そこは気にしないで食べることにした。
口の中に入れると、それは意外と普通の味をしていた。
「どう、竜芳くん。それ私のクッキーなんだけど……」
俺が一番最初に食べたのは美亜のクッキーだったらしい。
健矢がいっていたものよりも、全く違う。別に普通に食べられる。
「まあ、結構美味しいよ」
「嘘つくんじゃねえぞ、竜芳!」
頭を抑えた健矢が美亜の作ったクッキーを食べた俺に叫んだ。
再び美亜の拳が頭を直撃し、健矢はノックダウンした。
――ご愁傷様です……。
次に俺は俺から見てテーブルの右上にある皿に載ったクッキーを手に取った。
やっぱり少し気になるのでちゃんと手に取って目で確認しなければ、とてもじゃないが食
べる気にもなれない。
今回手に取ったクッキーは形も匂いも凄い良いものだった。
口の中に入れて食べてみると、とても美味しい味だった。
「美味い……」
「まあ、本当ですか!? よかったですわ、竜芳さん!」
さすが沙里だ。料理の腕はかなりのもの。
売り物のクッキーよりも大分美味しい。
「さて、残りのクッキーは利緒のだな」
俺から見てテーブルの左上にある皿の上に載っているクッキーを手に取る。
利緒の方を見てみると、俺を見てふるふると首を横に振っている。
何故だかは全くわからない……
何だか全てのクッキーがこげ茶色の色をしているが……利緒はチョコレートクッキーを作
ったのか? チョコが好きな俺にとっては、少し嬉しい気もした。
そんなわけで、今回は目に見るだけで匂いを嗅がずにそのまま食べた。
あむっ。
口にそのこげ茶色のクッキーを入れて噛んでみると、それはチョコレートの味ではなくて
こげの味しかしなかった。
「っ――ーんんっ!?」
口の中で、何かが起こっている。
とてもじゃないけれど、非常にやばい……飲み物、誰か……
それは口の中で残り続け、喉をも通さない代物だった。
「うっ……」
「竜芳……!!」
ずっと俺が自分のクッキーを食べるのを見ていた利緒はすぐに気づき、コップにジュース
を注いで俺に渡してくれた。
そんな利緒の行動で、俺が苦しんでいるのをみんなは気づいてくれた。
片手に持ったジュースの入ったコップに俺は口をつけると、一気にそれを飲み干す。
そのおかげでこげた物体は喉を無事に通ってくれて俺は命を取り留めた。
しかし、まだこげの味がする……まさか、利緒は料理オンチか?
「ごめん……竜芳」
すごい悲しそうな目で、涙目の俺を心配そうに見つめる利緒。
こういうときは、どうフォローすればいいんだろう……
「お、おいしかったよ、うん……」
そんな嘘だとわかりきった言葉を発してしまった俺が憎い。
利緒はそれを聞くと頬を少し膨らませてそっぽを向いてしまった。
「嘘つき……」
「う……」
健矢も、美亜も、沙里もじっと俺を見ていた。
多分、利緒を怒らせたからか、俺がこの後どういう行動を取るか見るためだろう。
――仕方がない!
死を覚悟で、俺は再び利緒のクッキーに手を伸ばす。
そして口に入れてみると、やっぱり苦い。口の中で何かが起こりそうなほど苦い。
美亜や沙里と一緒に作ったはずなのに、どうしても利緒のだけ不味い。
どうやったらこんなになってしまうんだ……
そう思いつつも、次々と黒こげのクッキーを口に放り投げていく。
「お……おいしい、よ。うん」
バカだ、俺は……
何だか少しだけ意識が遠のいていく気がする。
――やばい……死ぬ。
そんな俺を、利緒は心配そうに見ている。
しかし、もう限界だ。
「ぅっ……もう、だ、め」
…………………
……………
………



俺はいつの間にか気絶していたらしい。
目を開けてみると、俺はベッドの上にいた。
「竜芳……大丈夫?」
利緒が俺の横で心配そうに見ていた。
なんだか口の中が苦い……
俺は気絶する前の記憶を思い出し、利緒の苦いクッキーを無理やり食べていたことを思い
出した。
「まったく、ベッドに運ばされたオレの身にもなれっての」
床に座りテーブルに肘をついている健矢がため息をついて俺を見た。
「何言ってんのよ。結構心配してたくせに」
健矢を見ながら美亜は笑っていた。
「大丈夫ですか、竜芳さん?」
ジュースが入ったコップを俺に手渡してくれた沙里。
何だかんだ言って、俺が一番迷惑かけている気がする……
「俺はもう大丈夫だ」
そういってジュースを一気に飲み干す。
それでも苦味は消えなかった。
「私のせい……ごめん」
「利緒のせいじゃない。気にするな」
俺は笑って見せたが、それでも利緒は俯いて悲しそうな顔をしていた。
少し悪いことをしたのかな、と思ったけど、俺はいい言葉を思いついた。
「そうだ、利緒」
「……………?」
「毎日俺の家に来て、クッキーを作ってくるんだ。もちろん、俺が全部食べる」
それを聞いた利緒は首をふるふると横に振った。
「でも、俺は利緒のクッキー食べたいからさ……頼めるかな?」
「だって……私、料理下手だもん」
頬を膨らませて利緒は俯いた。
どういう言葉をかければいいか迷った俺に、沙里が助け舟を出してくれた。
「利緒さん……料理は最初から美味いものは作れないんですから、これを機にどんどん作
っていけば、きっと上手くなりますよ。ちゃんと食べてくれる人もいるんですからね」
それを聞いた利緒は頷いて聞いていた。
正直助かった……俺の言葉じゃ、そんなことを言っても聞いてくれなさそうだし。
「さて、そろそろ時間だし、退散しますか」
美亜の言葉で今何時か気になり時計を見てみると、午後五時になる寸前だった。
外を見てみると、少しだけ日が落ちていた。
「んじゃ、帰るとしますか」
「それじゃ、またね♪」
「おじゃましたました」
健矢、美亜、沙里は持ってきた勉強道具などをカバンに詰めてさっさと部屋からでていき
部屋には俺の利緒の二人が残った。
「楽しかったか?」
「うん……竜芳がいったとおり、美亜も沙里も健矢もとってもいい人」
初めて見る、利緒の笑顔。
俺は今日家に呼んでよかったと思った。
「ねえ……竜芳――竜芳は、いなくならないよね?」
「え……?」
彼女はいきなり悲しそうな顔をして、昨日のような虚ろな瞳で俺を見た。
泣きそうな目で、俺を見つめる。
俺は今朝見た夢のことを思い出した……
「いなく、ならない……よ、ね?」
泣いていた。利緒は俺が入っている毛布にしがみ付いて泣いていた。
昨日のように、涙を隠さずに。
「どうしたんだ、利緒……」
「お父さんも……吉久も……みんな私のせいでっ」
吉久(ヨシヒサ)とは、おそらく弟のことだろう。
ということは、俺の見た夢は本当にあったことだったのだ。
辛そうだった。ただ、泣きじゃくっている。
俺はどういう言葉をかけてあげればいいのか、わからない……
まったく、どうしてこんなときに気の利いた言葉をかけてあげられないのだろうか。
「私のせいで、みんな死んじゃう……私のせいでっ」
もはや彼女は自分を責めていた。
火事で亡くしてしまった父と弟。
しかし、彼女のせいではないはずなのに……自分で自分を苦しめていた。
「利緒……」
「お願い……約束、して」
目尻に涙をためて、彼女は少し笑った。
俺の目の前に、右手の小指を一本差し出す。
「いなくならないって、約束……して欲しいの」
何の声もかけてあげられない俺は、せめて指きりと約束をしてあげることにした。
俺も右手の小指を利緒の小指に絡ませる。
「約束、する」
「ありがとう……竜芳」
なぜ俺に、約束をしてくれといって、泣いたのかはわからない。
もしかしたら、そんな悲しみをぶつけれる人間がいなかったからかもしれない。
母親は、利緒に心の痛みを晴らすために八つ当たり、唯一の家族に利緒は苦しめられてい
たのだ。
「これからも、友達でいてくれるよね?」
涙を拭った利緒は、いつもの表情に戻っていた。
けれど、さっきより言葉が多くなっている気がする。
「当たり前だ。一日限りの友達なんて、聞いたことないぞ。クッキーもまだマスターして
貰ってないしな……」
「うん……そうだよね。今日は、色々とごめんね……それじゃ、私帰るね」
そういって、利緒は立ち上がり、部屋を出るためにドアノブに手をかける。
「明日……また来てくれよ。楽しみにしてるからな、クッキー」
「うん。作ってくる……また明日ね、竜芳」
彼女の自然な微笑を俺に向けて、部屋を後にしていった。


続く

FC2 キャッシング 無料ホームページ ブログ blog