『桜の夢』


夢。
俺は……確か、遠見ヶ丘で利緒と会った。
そして、否定された。
今は、意識が途絶えて夢を見ている。
いや――見せられている。
桜の木によって……



夢の中で、俺は自分の意思を表現できることを確かめる。
体がある。
手も、足も……自分の思い通りに動く。
目の前には、桜の木の少女が立っていた。
とても楽しそうに笑っている。
『ねえねえ。最初は何から始めようか?』
「……まず、お前は何をしたいんだ?」
『お前、ねぇ〜……』
「他に何か呼び方があるのか?」
『えっとねぇ〜、そうだなぁ〜……』
彼女は少し悩んだ。
自分の名前を考えているのだろう。
そんな短時間で名前なんて、決められるのか?
『桜(ヨウ)! ボクの名前は桜!!』
「ヨウって、桜(サクラ)で桜(ヨウ)、か?」
『そだよ〜。えへへ、いい名前でしょー』
まあ、短時間ながらいい名前を考えたものだ、と声に出さずに褒めた。
当然ながら、返事のない俺に頬を膨らまして桜は怒っていた。
『褒めてよー』
桜が頬を膨らませて怒った様子をみせる。
「子供か、お前は」
俺は少し笑って見せた。
自然に笑える。
それは、利緒に向けることが出来たことのある俺の笑いだった。
彼女にだけ出来た、自然の笑い。
なぜ、桜にもこの笑いができるのだろう……
俺は少なくとも、桜に違和感などは感じなかった。
『君――えっと、竜芳くん。あー、ダメだな……美亜ちゃんとダブっちゃうか』
「別に構わないけど」
『ボクが嫌なの!』
今度は俺の名前をどう呼ぶか迷っている。
しかも、くん付けは美亜とダブるってどんだけこいつは俺たちのことを知っているんだ?
それになんだか最初の目的からどんどん遠のいている気がする……
『そうだね……お兄ちゃん、でいっか』
「へ?」
『それでね、お兄ちゃん』
おい、待て。
俺にはそんな趣味はないぞ。
ましてや、血のつながってない――というか、桜の木なんだが――ないのに兄呼ばわりさ
れる意味もわからない。
否定をする前に、桜が質問をして来た。
『夢って、なんだと思う?』
唐突に、さりげなくとても難しいことを聞いてきた。
夢と言われても、困る……
「夢って、将来の?」
『今、ここで見ているもの』
寝るときに見る夢。
その夢は何なのか……
当然すぐには答えは出ないので、俺は考え込む。
「夢……寝て、夢を見る。その夢は何が起きるかはわからないけど、朝起きたら忘れてい
ることが殆どだ。夢は、見たら消えてしまうもの、かな?」
そんな俺の言葉を桜は頷きながら聞いていた。
『うん。そうだね……夢は、見たらもう同じ夢は殆どの確立で見れない。だけど、一部の
人間は何度も繰り返してみる夢もある。それは印象が強すぎるからか、頭の中で寝る前に
考えているから。でも、お兄ちゃんはそんな考えないし、印象が強い夢なんて見ないから
わかんないだろうけど』
さりげなく、酷いことを言う。
しかし今思い返すと、俺の見る夢はいつも見たら忘れてしまう。
桜に見せられた夢以外は……
「じゃあ、なんでお前は夢を俺に見させた」
『夢で終わってしまう少女たちを、助けて欲しかったんだよ。それで、お兄ちゃんならき
っと助けられるって思って、それで見させたんだよ』
三月三十一日。
あの日から、桜によって俺は夢を見せられていた。
始まっていたのだ。その時から……
「夢で終わってしまう少女?」
『そう。彼女たちは、それぞれ悩みや苦しみを持っていたでしょ? お兄ちゃんはそれを
助けた』


美亜の相談のとき。
突然の引越しの話。高校入学は同じ学校だと思っていたけれど、違っていた。
今思い返せば、いろいろな事があって忘れていたけれど美亜とは結構長い付き合いになっ
ている。なぜ俺に最初にそんな話を持ちかけたのかはわからないけれど、離れていても俺
は友達だと思っている――友達。

沙里の記憶喪失のとき。
父親が死んだというショックで自ら心を閉ざして記憶喪失になってしまった沙里。母親は
いない沙里にとっては、血がつながっている親は父親ただ一人だった。心を閉ざした沙里
は、悲しみを受け入れないようにと、幼く、そして無邪気。けれど、損なのは間違ってい
ると、俺は思う。悲しくても、辛くても、受け入れないといけない現実。それは、生きて
いるから――現実。


けれど、利緒の悲しみまでは完全に助けることは出来なかった。
『助けてあげてね』
「え?」
『まだ一人、心が悲しみに満ちている少女がいる』
利緒のことだろうか……
助けてあげたいけれど、俺は、もう……
『お兄ちゃん。彼女が一番悲しみを胸に秘めている……一番、誰よりも苦しんでいるんだ
よ』
俺だって、そんなことはわかっている。
わかっているけど、助けてあげることは、もうできない。
『三月三十日。あの子の父親と弟が死んだ』
俺の夢を見させる前の日。
けれど、何故桜は俺に夢を見せることにしたのだろうか?
『そして、この遠見ヶ丘に来て桜の木の下で一人泣いていた。ボクには、わかるんだ。と
ても辛い思いをしている彼女の気持ちが。助けてあげたかった……だけど、ボク、桜の木
だから』
そういって俺に笑いかける。
桜の木だからといって、目の前に現れられない、というわけでもなかろう。
現に俺の目の前にいるじゃないか。
それとも、俺の目の前にしか現れることが出来ないのだろうか?
『そんでね、お兄ちゃんならきっと彼女を救える、って思って夢を見せたんだよ』
「……そうか。だけど、俺は――」
『彼女を救えない?』
俺の心を読みきっている。
まあ、多分俺は顔に出やすいからわかるのだろう……
「……あ、ああ。否定をされた俺は、もう彼女を救うことは出来ない」
『ダメだよ、諦めちゃ』
真面目な声で、少女は俺に言う。
『諦めたら、そこで終わりだから……彼女は夢を見続けることになる。優しいけれど、悲
しみに染まった夢を。そんなことはさせたくない。だから、お兄ちゃんにはもうちょっと
頑張ってもらわないと』
「それがお前の望みなのか?」
『うん』
と、再び笑みを浮かべて笑い、頷く。
俺も釣られて笑ってしまう。
なんだか、この夢は心地いい……
このままここに居続けたい。そんな気分にもなる。
そうすることで、現実から逃れることもできる。
『ダメだよ、夢に囚われちゃ』
「――わかっている」
そんなことをしたら、眠りから覚めることが出来なくなる。
俺にはまだ……まだやらねばいけないことがあるのだ。
彼女を――利緒を救う。
『それじゃ、そろそろお別れだね。お兄ちゃん』
「ああ、そうだな……ありがとう、桜」
『お礼をいうのはこっちだよ……利緒ちゃんを、よろしくね。絶対に助けてあげて』


そして、俺の夢は消えて行った……
桜とのお別れはちゃんと出来なかったけれど、それでもあの遠見ヶ丘にある桜の木に行け
ば、きっとまた会えると思うから、お別れは言わない。
桜から託された想い……それは、俺の望むことであった。
俺は利緒を助けてあげることが出来るのだろうか?
不安が俺の胸を締め付ける。
けれど、迷っている暇はなかった……
意識は、現実へと引きずり戻される――


続く

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